つばめんとNEWS

NEWSファンブログ。全員好きです。

ひとつの告白

※「NEWSファンブログ」との趣旨から大幅に離れますが、しかしファンとは?応援とは?多少なりともリンクする事があるかもわからない。書ききれるかわからないが、今回だけ、「NEWSファンブログ」から離れます。

 

 

前々回の「正当に評価される事」について、ささやかな怒りに任せもっとキツめにボロカスに書いてみたい気持ちもあったのだが、加藤君自身が優しい書き方をしていたので、なるべく優しめに書いたつもりだった、抑えきれない苛立ちが皮肉として出ている気もするが。しかしひとつ後悔があるならば、ファンの人、投票した人をジャニオタ呼ばわりした事か。

自分も含めNEWSファンもジャニオタと呼ばれる種類の人間だろうが、なんて書いたらいいのかわからなかった。加藤君のファン?NEWSファン?そうだけど違う気もする。パーナか?パーナは侮蔑的すぎる(異論はあるだろうが)。ジャニオタの方がまだマシかという思いもある。個人的見解だろうがパーナは雷雨で中止、順延になった時の騒動のイメージが強すぎる。あの時は本当にびっくりした。一晩明けて、ネットニュースやまとめサイト等に訳のわからないツイートがまとめられ、パーナは(=NEWSファンは)非常識、やばい奴ら、という認識がネット界隈で出来上がったようだった。4人で復活した初のシングル曲のチャンカパーナの楽曲すらも汚されたような気がした。怒りしかなかった。

どうしてファンなのにNEWSの顔に泥を塗るような事をするのか、ツイートするのか、理解不能だった。そもそもそれらのツイートはNEWSファンが発したものなのかすらわからない程のお祭り騒ぎだった。たくさんのなぜ?がある(このあたりが前々回のTwitter文学賞のあれこれに対しての苛つきと共通するところでもある、規模は小さくとも)。まあもう終わった事として、何もなかった事にして見なかった事にする事もできる。実際私はあのパーナ騒動に対して苛立ちはあれどスルーした。

NEWSファン、ジャニオタ、それは人の一面でしかない。誰だって当たり前に色んな側面がある。色々な趣味や嗜好がありNEWSファンという事はひとつの側面でしかない。ファンの誰もが、誰かの愛する人であり誰かの大事な人、誰かの愛する子であり親であったり、社会を構成する一員であるだろう。ジャニオタと云う括りでは収まらない側面が必ずある。そのあたりをすっ飛ばして前回「ジャニオタ」と一括りにした事は申し訳なかったです。ごめんなさい。

 

.........NEWS成分はここまで..........

 

 

 

2月はTwitter文学賞について自分なりに感想を書いた後すぐにオリンピックに心の全てを持っていかれた。もとからライトなファンだった、ライトな立ち位置でいたかったけども、やはり無駄な抵抗だった。NEWSに対しても私は軽いファンのひとり、みたいな立ち位置でいたかったのだけど、無駄な抵抗だったのはわかっている。それと同じだった。2012のワールドでの演技に心奪われ…その前後くらいに酷い中傷を目にし、パソコンをそっと閉じた。ジャニーズのアンチの罵りなどただの戯れ、猫がじゃれあっている程度に思えた。比べるものでもないが、そう感じた。

ライトなお茶の間ファンでいいと割り切り時々雑誌を買いオフシーズンは演技やショーの一部を動画で見たり、主にテレビでしか応援していなかった。

心ない誹謗中傷を投げつける人達のことも見たが、見て見ぬふりをした。アンチはどこにでもいるからみたいな考えでスルーした。しかしこの姿勢はやはり自分の事しか考えていない卑怯者の姿勢だった。

本人の会見を聞き、読み、私が応援する人についてのいわれなきデマ、中傷を見て見ぬふりをした事について心底恥じた。お茶の間ファンです、と名乗る事すらおこがましく感じた。

さりとて一個人に何ができるのか。あまりよろしくない頭で必死に考えたが、やはり応援する、くらいしか思いつかなかった。お金を落とさない茶の間ファンでなく、お金を落とすファンになる。それくらいしか思いつかなかった。幸いな事にこの春はファンにとって嬉しい事がたくさんある。財布は悲鳴をあげるだろうが嬉しい悲鳴だ。

アンチの人と対峙する?できるか?正直同じドブ川に頭を突っこむような事はしたくない。(ここで言うアンチの人とは演技が嫌いインタビューが苦手とか言う人の事ではない、それは個人の好み。名誉毀損レベルの捏造をばら撒く人の事です)しかし、お金をささやかなりにでも使うファンになると決意し、そうしても、私の応援する人への中傷は無くなる訳でもない。何かがあってもなくても、だ。正直途方にくれた。何かできることはあるのだろうか?多分、なにもない。

誰かの口を塞ぐ事なんてできる訳がない。称賛にしても批難にしても、いちゃもんレベルの難癖でも何にしても。

せめてその人の耳に届かなければとも思いもしたが、しかし絶対に目にしているからこその発言であり、もっと前に遠回しに言葉を選びつつ話していた事もあった。何よりご本人が身をもって経験した事もあったと思い出した。いつぞやのナショナルについて。

 

この辺りまでうだうだと書き連ねながら、これも多分公開しないだろうと思っていた。

 

しかし、しかしだ。迷いながら恐れ慄きながらも(扉を開けてしまったらもう戻れないことは自覚していた)ショーのライブビューイングに足を運んだ。会場も映画館もたくさんの人で、その人を応援する人しかいない。幸せな空間だった。途中、いつからファンなのかを聞いていて、私はいつからファンなのかと考えた。あの、旧ロミジュリの時から?それとも確実に落ちたと自覚した、好きという気持ちをはっきりと認めた今年の2月から?てか、ぴょん落ちという言葉を知ってるんだ…。多少の混乱の中、あの時の衣装で、ロミオ+ジュリエットが始まった。当時の記憶とリンクした。ジャンプ要素はないが違和感なんてない。転倒すら振り付けのようだった事も思い出しながら見た。何より曲が進むごとに実施していた要素が勝手に脳内に浮かび上がる。繰り返し見たユロスポのナレーションが勝手に思い出される。目の前のスクリーンで音の通りに演技が進んでゆく。もちろんメドレーの一部で省略されているところもあったが、なんというスペクタクル!

ニースでの演技を超える超えないではなく、ただただ今演じてくれてありがとう、ありがとうの気持ちしかない。私も現地でたくさんのおめでとうの声のひとつになりたかった。まあでも、ライビュに行けて良かった。

最後の挨拶でそれはやって来た。現地のファンの人の悲痛な叫びも聞こえたがそれどころではなかった(多分ひとりふたりの声の大きい人の叫びだった)。時間いっぱいまで話してくれたが、彼が幕の向こうに消えた時にライブビューイングは終わった。テレビのコンセントを引っこ抜いたかのように終わった。呆然としながら時計を見るとちょうど4時で、終演の時間だった。帰らないとと思いながら席を立ち階段を降りながら思った、彼は確実に自分に向けられた悪意の全てを知っているんだと確信に近いものを感じながら映画館を出た。

映画館から出て日曜のショッピングモールの照明は眩しく楽しそうな家族連れやカップルで賑わっていたが、私はどんな顔で歩いていたのかわからない。素晴らしい出演者の方々の素晴らしい演技に感動し、愛と敬意に満ち溢れた空間を堪能し、ショーってこんなに楽しいのか、新たな扉を開いてしまったどうしようもう知らなかった頃には戻れない嬉しい喜びと、最後の告白の衝撃に打ちのめされ、喜びとかなしみが混ざり合ったぐちゃぐちゃな色合いだった。

「週刊誌」と言ってはいたが多分ネットなどの中傷も含まれているんだと思った。多分お茶の間ファンには知らない何かも含まれているのだと。考え過ぎか?だけど彼は自分に向けられている悪意を確実に知ってそして傷ついてきたんだとはっきりと知った。薄々と感じてはいたが、本人の口から出た衝撃に混乱した。心で泣きながらよたよたと喫煙所の扉を開け、薄暗い空間に逃げ込んだ。ゾンビになったような気持ちで煙草に火をつけた。どんな気持ちだ。モールの何処かに夫を待たせているけど、とりあえず心を落ち着けたかった。

落ち着け、よく考えろ、あれはただの過去の心情の吐露か?そうかもしれない、だけど、そうなのか?今幸せだから、言えた事なのか?そうかもわからない。わからない。これこそ、中傷を見て見ぬふりをしてきた自称お茶の間ファンへのメッセージ?いや、絶対に違う、彼はテレビで応援するファンにも感謝の気持ちを表してきた…。あれは実際に彼を試合で応援し、辛い時にも寄り添って暖かいメッセージを寄せていたファンの人達への、時には中傷する人に対して戦ってくれた愛すべき人々に対してへの告白なのかも、わからない。わからないけど、多分安心できる場所でなければ告白できない思いだという事はわかった。だけどそれが正解なのかわからない。わからない。

一本をゆっくりと吸い終わり、ペットボトルの水を一口飲み、キャップを閉めようとしたがうまく閉まらない。動揺していた。

平静に車の運転ができる自信もなかったので運転は夫に任せて帰宅し、雑事をこなしながらも考え続けた。最近知った好きな人が集うサイトに初めて一言だけコメントを投稿した。だけどそれだけでは気持ちは収まらなかった。そのサイトはもちろんその人を好きではない人もいるが、とりあえず住み分けはできているからまあまあ安心してコメントを読んだりはできる。やはり多少なりともショックを受けたファンの人もいたし、もうこれ以上誹謗中傷は許せないと怒る人もいた。何より彼にもう傷ついてほしくないという共通する願いがみえた。

 

艱難汝を玉にす、とは云うが、訴えられてもおかしくないデマを撒き散らしたり、その人自身のみならず家族やサポートしている周囲の人達、環境、時には応援するファンまでも攻撃する事が許されるのか。そんな訳はない。憎しみのような悪意なんぞに磨かれてたまるか。

メガスター故の悩みか?そうかもしれないけど、そんな存在になる前から、偉業を成し遂げる前から誹謗中傷はあった、ずっとあった。

 

数日考えて、その衝撃的な言葉にだけ囚われている自分にやっと気づいた。それこそ言葉を切り取り好き勝手捏造する人と同じだと。

もう一度彼の言葉の全てを聞いた。最後の挨拶のところを。その言葉はただの一部で、それ以外はたくさんの感謝の言葉で溢れていた。そうだった、彼はいつもそうだった…。

彼を愛し、応援し、時に彼への中傷を見て見ぬふりをしていてもやはり見てしまっていたから、自分の事のように怒り傷ついてきたからこそ、過剰にそこばかりに注目してしまい動揺してしまったが、彼は応援する人達も傷ついてきた事を知っていた、なんて人なんだろう?

「不安は不安で抱えたまま、それを乗り越えるしかない」それを有言実行した人だった。

自分の会見を見返す人だから、その言葉を口にした事はある程度自分の中で折り合いがついているのかもわからない。わからないけど。何より彼は今生きていて、幸せと言い、これからの未来にも意欲的で、前を向いていた。どんな逆境でも乗り越えて前に進んできた人だった。

 

普通の人でも、メガスターであったとしても、誰でも、目に麗しいことや耳に心地良いことだけを受け取って生きることなんてできない。わかっている。当たり前すぎることだけど、改めて思い知らされた。

 

引き込まれる演技だけではなく、“ 優しく、正しい ” 人だからこそ、自分も正しくありたいと思った。その人のファンだと公言しても恥ずかしくない人間になりたい。思うだけでなく、そうありたい。

 

 

 

 

 

 

※たまにこのブログを見て下さっている方にはなんのことかさっぱり…??でしょうが、書かずにはいられませんでした。わかる人が見たら私が応援する人が誰なのかわかるキーワードもありますがお名前は控えさせていただきました。(無駄な抵抗だったか)

もし最後まで読んで下さった方がおられたら、本当にありがとうございます。